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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

2020-01-01から1年間の記事一覧

ダニエルの七十週の預言(2-5)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その2-5

「主の日」と患難期の関係(2-4)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その2-4

旧約聖書における「主の日」とは(2-3)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その2-3

神の御怒りとは何を指しているか?それを逃れるとはどういう意味か?(2-2)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その2-2

聖書に書かれている『患難』には区別があるか?(2-1)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その2-1

再臨は2つに区別可能な出来事か?(1-3)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その1-3

再臨は次に起こる差し迫った出来事か(1-2)

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その1-2

キリストの再臨=パルーシアの意味について(1-1)

艱難期前携挙説主義者が取り組む必要のある諸問題について、検証してみました。その1-1

千年王国?

千年王国に関する御言葉のあれこれ

頑なな心(5)パリサイ人(6)真理という凶器 (7)最も大切なこと

(5)パリサイ人 「また、みこころのままに頑なにされるのです。」ローマ9:18パリサイ人が見るからに悪者のように描かれることが多いですが、改めてどういう人なのかに気付きました。 ズバリ、私のような存在です。 傍目にはとても敬虔的で柔和で、熱心に見…

頑なな心(3)間違いの根本 (4)頑なな心を溶かすもの

(3)間違いの根本神学を研究している神学者達は、なんの悪意もないはずなのです。これこそ真理だと確信して神に従い歩んでおられます。しかし不思議なことに、その研究の中に、学ぶ者の心に、学びを聞く者の心に、実に巧妙に悪魔が入り込み、罠をしかけてい…

頑なな心(1)当時の思い (2)頑なにするもの

以前 贖いの日 - Misao’s bible diary のブログの冒頭で、 『私はこのブログを、主にネット上での曲解した神学の主張によって、イエスキリストに対する純粋な信仰を刈りとられてしまった人々をイエスキリストへの純粋な信頼に回復されることを目的に書いてい…

ディスペンセーション主義の影響

ディスペンセーション主義の方々から学ぶことも多くあります。自分たちの間違いが指摘される事も多々あると思います。しかし、数あるディスペンセーション主義の中でも、ハーベストタイム(以下HTM)が教えるディスペンセーション主義の何が危険であるか、何…

苦難の中から生まれる賛美

お読み下さりありがとうございます。 あらゆる批判の溢れるネットの中に、小さな光を投げ込むつもりで書いています。応援して下さる方々に、とても励まされています。今回も日々のデポーションの中で気づかされた恵みを、お分かちしたいと思います。 私自身が「…

刈り取り

マタイ13:24-30には、イエスが天の御国を教えるためにに話された『畑の毒麦のたとえ話』が書かれています。 「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。 『天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。と…

贖いの日

『贖い』とは一般的に『金銭や物品を差し出して罪を償うこと。転じてそれに値する行為によって罪滅ぼしすることを指す。』(by Wikipedia)と理解されています。 では聖書で使われる『贖い』がどういった意味で使われているかというと、神への犠牲を通して…

携挙と再臨は別々の日ではない根拠~聖書から見る矛盾点~

患難期前に教会が天に挙げられるのだという 『患難期前携挙説』※の矛盾に気づいたきっかけは、 『第七の御使いのラッパ』の不自然な解釈ゆえでした。 ※聖書で終末に起こると預言されている患難時代の前に、その時点での信者(普遍的教会)が空中まで迎えに来…

これらすべてのことから逃れ…

次はルカ21:33-36を、主義・神学を通してではなく、聖書そのものを裸眼で読むことをしていきたいと思います。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んで…

主の日 (追記あり)

「主の日」 とは何なのかを、聖書から読み取ってみましょう。「 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらの…

フィルター(前提)

一番最初の記事に、私がハーベストタイム・ミニストリーズ(以下HTM)に違和感を感じたきっかけは、終末預言の解釈であったことを書きました。その終末預言とは、患難期前携挙説であり、そのきっかけになったみことばは、「第七のラッパ」に関するいくつかの…

本当の蛇(悪魔)の罠

創世記3章の、エバに対する蛇の欺きの記事を思い出して頂けるでしょうか。蛇は神が全能であることを知っていました。人間も、全能である神を信頼していました。ですから、蛇が神の全能性を否定することによって神への信頼を揺るがすことなど到底できません…

イスラエルと教会の一貫した区別への疑問

艱患期前携挙説の疑問点を先に取り上げてきましたが、ディスペンセーション主義の中心であるイスラエルと教会の一貫した区別にも、疑問を抱き始めました。 ※イスラエルと教会の区別は新約聖書にも見られますが、贖われて一つの神の民とされた以上、その区別…

苦難と忍耐について

【私たちを艱難に合わせることは、主の御心に反することでしょうか】 「艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと…」(ローマ5:3-5) 「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさ…

不法の人の出現への忠告

テサロニケの手紙は、パウロが、テサロニケのクリスチャンを励ますために書かれたものです。艱難期前携挙説によると、信者が天に引き挙げられたあとに不法の人(反キリスト)が到来することになっています。しかし、艱難の前に天に引き挙げげられるという信…

見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて…

黙示録の最後22:12を見てみます。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて…報いよう。」と、書簡をとじています。緊急性を持って伝えるべきことを最後にもう一度伝えています。 次に、黙示録1:1を見てみます。黙示録は、「イエス・キリストの黙示。こ…

みことばから問題の本質を読み解く

【御言葉に基づいた、『ハーベストタイム・ミニストリーズの問題の本質』について】 ●「正しい聖書解釈」という剣を投げ込み、教会を目覚めさせようとするところに平和はなく、むしろ痛みを与えていると思います。→「あなたがたと、私との互いの信仰によって…

全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう

艱難期前携挙説の根拠とされている最も力強い御言葉に黙示録3:10があります。 黙示録3:10「全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。」(口語訳) もし、このみことばが艱難期前携挙説が正しいということの証明になり得たとしても、周知の…

携挙の日=終わりの日?

もう一度、第Ⅰテサロニケ4:15-5:3を読んでみましょう。 「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて…

字義通りに読む「ラッパ」について

第Ⅰテサロニケ4:15-17を読んでみてください。 「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラ…

再臨の様子については、誰に向けて書かれてあるか

最初に艱難期前携挙説が御言葉と矛盾していると感じましたが、そこだけを受け入れなければ、ディスペンセーション主義を引き続き信頼していこうと思っていました。しかし、ディスペンセーション主義者は、ほぼ100%艱難期前携挙説を採り、ディスペンセーショ…