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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

携挙

黙示録6章の赤い馬は、世界大戦と区別される未来の大艱難時代の戦争を指しているのか?

前回は、信者への安息が携挙によって再臨の裁きより先に与えられるものではないことを、Ⅱテサロニケ1:7の、苦しみと安息の報いは炎の中に御使いたちとともに天から「現れ」(602apokalupsis)る時に起こるという聖句を通して指摘しました。 また、再臨によっ…

さばき主は二度「戸口」のところまで来られるか?

ごぶさたしてしております。 いつも”○○休み”は家族ファーストにするのを心掛けているのであしからず…。 さて、小休止をはさみながらSNSでも話題となっていた「患難期前携挙説」について長い期間詳しく深堀りしてきました。 その一覧のリンクをここに貼ります…

火のバプテスマ

火のバプテスマとは何でしょうか。 私たちはそれを受ける様に召されているのでしょうか。それともそこから逃れて守られるのでしょうか。

苦難の中から生まれる賛美

お読み下さりありがとうございます。 あらゆる批判の溢れるネットの中に、小さな光を投げ込むつもりで書いています。応援して下さる方々に、とても励まされています。今回も日々のデポーションの中で気づかされた恵みを、お分かちしたいと思います。 私自身が「…

贖いの日

『贖い』とは一般的に『金銭や物品を差し出して罪を償うこと。転じてそれに値する行為によって罪滅ぼしすることを指す。』(by Wikipedia)と理解されています。 では聖書で使われる『贖い』がどういった意味で使われているかというと、神への犠牲を通して…

携挙と再臨は別々の日ではない根拠~聖書から見る矛盾点~

患難期前に教会が天に挙げられるのだという 『患難期前携挙説』※の矛盾に気づいたきっかけは、 『第七の御使いのラッパ』の不自然な解釈ゆえでした。 ※聖書で終末に起こると預言されている患難時代の前に、その時点での信者(普遍的教会)が空中まで迎えに来…

これらすべてのことから逃れ…

次はルカ21:33-36を、主義・神学を通してではなく、聖書そのものを裸眼で読むことをしていきたいと思います。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んで…

フィルター(前提)

一番最初の記事に、私がハーベストタイム・ミニストリーズ(以下HTM)に違和感を感じたきっかけは、終末預言の解釈であったことを書きました。その終末預言とは、患難期前携挙説であり、そのきっかけになったみことばは、「第七のラッパ」に関するいくつかの…

苦難と忍耐について

【私たちを艱難に合わせることは、主の御心に反することでしょうか】 「艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと…」(ローマ5:3-5) 「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさ…

不法の人の出現への忠告

テサロニケの手紙は、パウロが、テサロニケのクリスチャンを励ますために書かれたものです。艱難期前携挙説によると、信者が天に引き挙げられたあとに不法の人(反キリスト)が到来することになっています。しかし、艱難の前に天に引き挙げげられるという信…

見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて…

黙示録の最後22:12を見てみます。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて…報いよう。」と、書簡をとじています。緊急性を持って伝えるべきことを最後にもう一度伝えています。 次に、黙示録1:1を見てみます。黙示録は、「イエス・キリストの黙示。こ…

全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう

艱難期前携挙説の根拠とされている最も力強い御言葉に黙示録3:10があります。 黙示録3:10「全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。」(口語訳) もし、このみことばが艱難期前携挙説が正しいということの証明になり得たとしても、周知の…

携挙の日=終わりの日?

もう一度、第Ⅰテサロニケ4:15-5:3を読んでみましょう。 「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて…

字義通りに読む「ラッパ」について

第Ⅰテサロニケ4:15-17を読んでみてください。 「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラ…

再臨の様子については、誰に向けて書かれてあるか

最初に艱難期前携挙説が御言葉と矛盾していると感じましたが、そこだけを受け入れなければ、ディスペンセーション主義を引き続き信頼していこうと思っていました。しかし、ディスペンセーション主義者は、ほぼ100%艱難期前携挙説を採り、ディスペンセーショ…