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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて…

黙示録の最後22:12を見てみます。

「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて…報いよう。」と、書簡をとじています。緊急性を持って伝えるべきことを最後にもう一度伝えています。


次に、黙示録1:1を見てみます。

黙示録は、イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すため」(1:1)に書かれました。



「すぐにも起こるべきこと」を伝えているので、次には「主は報いを携えて」「すぐに来る」のです。


「報い」とは何ですか?
聖書のいう「報い」とは単に信者に与えられる安息や報酬だけを意味するのではなく、不信者に対する裁きの側面をも意味しています。

ローマ2:6には、「神はおのおのの行いに従ってお報いになります。」とあります。

また、
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマ6:23 )



主が携えてくる「報い」とは、この報いで間違いありませんか?
エス様を救い主として受け入れない人は死に、信じる者が永遠のいのちを受け取るということです。

では主が「報い」を携えて来るのはどのタイミングでしょうか。



黙示録19は、主が地上に再臨された時の天での様子で、有名なハレルヤコーラスのシーンです。
「ハレルヤ、救と栄光と力とは、 われらの神のものであり、 そのさばきは、真実で正しい。 神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、 神の僕たちの血の報復を 彼女になさったからである」(19:1-2)
この箇所から、「報い」を携えて来られるのは、地上再臨の時だと分かります。




艱難期前携挙説が言うように、イエス様が「報い」を携えて来るその前に空中まで信者を迎えに来て引き挙げる携挙があるならそれをまず伝えるべきではないでしょうか?
(見よ、わたしは報いを携えてすぐに来る。しかしその前に、あなたがたを天に迎えに来よう。というようにです。)





もう一つ御言葉を見て同じ質問をします。
黙示録で、イエスご自身が「すぐにも起こるべきこと」を伝えているので、次には「主は報いを携えて」「すぐに来る」のです。

主が「報い」を携えてくるのはどのタイミングでしょうか?



つぎの御言葉を見てみてください。
マタイ24:37「人の子が来るのは、ちょうどノアの日のようだからです。」
ノアの日とは、どういう日でしたか?


洪水が押し寄せて、信者と不信者に「報復」が一瞬にして訪れた日です。
これも地上再臨の前に、信者を天に引き挙げるために空中に来られるつもりであれば、それをまず伝えるべきです。(人の子は突然来ます。しかしその前に、あなたがたをまず天に引き挙げて守り、その後この世を滅ぼします。というように。)

 突然来ることを「ノアの日のよう」とわざわざノアを引用しているのは、人の子がくる日こそ、裁きの日(つまり地上再臨の日)だからではないでしょうか?