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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

再臨の様子については、誰に向けて書かれてあるか

 最初に艱難期前携挙説が御言葉と矛盾していると感じましたが、そこだけを受け入れなければ、ディスペンセーション主義を引き続き信頼していこうと思っていました。しかし、ディスペンセーション主義者は、ほぼ100%艱難期前携挙説を採り、ディスペンセーション主義は、必然的に艱難期前携挙説に行き着くということがわかってきました。
 HTM(ハーベストタイム・ミニストリーズ)の資料によると、マタイ24からのオリーブ山の説教は、あらゆる時代の人たちに対する適用を持っていると書いているようです。
つまり、イエス様が語られた再臨の様子は、大艱難時代をくぐり抜ける信者に対して適用があるという立場です。
ということは、ダニエル7:13-14で預言されている再臨の様子も、その他主がもう一度王として来られる(=再臨)多くの預言も、大艱難時代をくぐり抜ける地上に残された人々へ書かれたことになりませんか?
ヨハネ16:23「その日(主と会う日)には、あなたがたはもはや、わたしについて何も尋ねません」 Ⅰコリント13:12「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」とあり、主と会った時に私たちにはすべてのことが明らかになるので、もはや聖書は必要なくなるからです。

聖書は地上に生きる私たちの為に書かれた書物です。なのに膨大な聖書の多くの箇所が、このように終末の一部の人にしか適用されないと考えるのは、少し無理があるのではないでしょうか?

マルコ13:37「わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」

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