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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

教会にもたらす問題の経緯の共通点

ーベストタイムについての話題を続けます。私が都合よく勝手に被害者になっているだけだ、と冷ややかな見方をしている方もおられるかもしれません(もちろん読者さんや、フォロワーさん以外にです)。

また、ハーベストタイム(以下HTM)が教会に分裂をもたらしているという事について、全く見たり聞いたことがない方々にとっては、『私はそうは思いません』と答えるのは当前だと思います。当事者になってみなければ見えてこない側面というのも事実だからです。

しかし、私自身の身に起こったことを勇気をもってブログで証させていただいた結果、実際に問題にあわれた複数の当事者の方々から直接実態を聞く機会が増えるようになりました。(※追記:教会から連絡を頂いたのではないので『当事者』と変更。2021/9.26)もちろんここで詳細について一切述べることは差し控えますが、私がこの件でお世話になったH先生の教会をはじめ、私が直接お聞きしたいくつかの問題事案には一定の共通点がみられる事がわかってきました。

 

①私の知る限りすべて健全な教会で、大きな原因(カルト化や、牧師の権威体制など)はない教会で起こっている。

②元々教会内に派閥など、牧師と信徒との信頼関係に問題があった。

③牧師の解釈への不満をきっかけに、元々牧師不信だった人たちにも不満が広がる。

④ハーベストタイムの解釈とは違う、あるいは否定的な牧師を、退任に追い込む。

⑤それが無理なら(④を経てか、あるいは経ずに)仲間と共に退会する。

⑥教会内に、なぜ兄弟姉妹が突然去ったのかという混乱が残る。

 

金太郎飴のように、経緯が同じなのです。

特に②は、問題の本質が何なのかをわからなくさせています。元々の問題に複雑に神学的問題が絡み合ってくるため、問題の渦中にいる人々にとっては、HTMが全ての原因ではないと思えます。しかし、そもそも教会は人間の集まりですから、何の問題もないなんてことはほぼないのが現実だと思います。

 

 

ここで考えて頂きたいのですが、どうでしょうか。教会に問題があることは教会として悪いことでしょうか。

大きな教会ほど、様々な考えの人が集まりますから、大小の問題は起こるのは当然だと思います。問題にぶち当たりながらも、相手を愛する選択をしていくことを通して、お互いがキリストにあって一つだということを確認していくことが大切だと、私は思うのです。

また、問題を通して相手を愛せない自分を見させていただいて、よりキリストにすがらせていただくことを通して聖化されていくと思うのです。

それも、教会生活を通して十字架を共に負わせていただくことの一つではないかと思います。

 

しかし、HTMの教えに深くはまった方々によって、問題がそのようにプラスに働くことなく、ベクトルが必ずと言っていいほど分裂へと向かってしまうのです。ある意味一致を失って弱体化しているところにHTMの教えが入り込み、分裂を決定的なものにしていっているようにさえ感じます。それがサタンの知恵だと思います。

HTMは異端ではないので、その語られる福音は本物ですが、携挙こそ信者の希望と語り、その教えを受け取った人のうちには、良い麦と同時に毒麦も撒かれていると感じます。(参照:本当の蛇(悪魔)の罠 - Misao’s bible diary

その人が兄弟姉妹のうちに愛という霊の実を結ぶのか、分裂をもたらす肉の実を結ぶのか。

神様との個人的な関係が死の直前(特に携挙の前に患難やこの世の終わりが来た場合)に神へのへりくだりとなるか、神への呪いの叫びとなるか。

いずれも後者を産む危険性をはらんでいる教えではないかと思います。そして実際幾人かは教会に分裂という実をもたらし、SNS上でもそのような言動をお見受けします。このように、共に撒かれた毒麦は、刈り取ろうとすると必ず良い麦も刈り取ってしまうほどに巧妙に紛れ込んでいます。

 

私たちの信仰がなくならないようにという、イエスのとりなしの祈りに信頼すべきですが、サタンも一人でも地獄へ引きずり落そうと必死だからこそ、私たちは信仰をはじめとする武具をとって戦う必要もあるのです。

 

このような共通点を見出していくときに、果たして私が訴えている問題が単なる被害妄想であるのか、私たちが戦うべきサタンの罠が紛れ込んでいないか、今一度吟味してみる必要があるのではないでしょうか。