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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

黙示録6章の赤い馬は、世界大戦と区別される未来の大艱難時代の戦争を指しているのか?

前回は、信者への安息が携挙によって再臨の裁きより先に与えられるものではないことを、Ⅱテサロニケ1:7の、苦しみと安息の報いは炎の中に御使いたちとともに天から現れ」(602apokalupsis)る時に起こるという聖句を通して指摘しました。

 

また、再臨によって与えられる信者への報いを、携挙によって天で待っているのでもないことをⅠテサロニケ4:17の、引き上げられた瞬間から主とともにいるという安息の希望との矛盾から指摘しました。

 

エス様は勿論聖書記者たちでさえ、私たち信者が望むべきは空中再臨による携挙ではなく、キリストの目に見える形での再臨であると語っています。

 

Ⅰペテロ1:13「キリストが『現れ』(602apokalupsis)るときに与えられる恵みを待ち望みなさい」

 

Ⅰコリント1:7「あなたがたは...熱心に私たちの主イエスキリストの『現れ』(602apokalupsis)を待ち望むようになっています」

 

テトス2:13「イエス・キリストの、栄光ある『現れ』(2015epiphaneian)を待ち望むように教えています。」

 

Ⅱテサロニケ2:8「不法の者が現れますが、主イエスは...来臨の『輝き』(2015epiphaneian)をもって滅ぼされます。」

 

Ⅰテモテ6:14「主イエスキリストの『現れ』(2015epiphaneian)の時まで...命令を守りなさい」

 

Ⅱテモテ4:8「主の『現れ』(2015epiphaneian)を慕い求めている人には、だれにでも(栄冠を)授けてくださるのです。」



【黙示録6章の赤い馬は、今の時代の世界大戦と区別される未来の大艱難時代の戦争を指しているのか?】

 

ハーベストタイム(以下HTM)では、偽キリストの出現や戦争の勃発は教会時代の特徴であると認めています。にもかかわらず、黙示録6:4「人々が互いに殺し合うようになるため」出て来る赤い馬は、今まさに起こってきた世界大の戦争とは区別される未来の戦争を示していると言い切るのです。

 

もし第一次、第二次世界大戦などが黙示録6:4の赤い馬の象徴だとしてしまうと、黙示録6章以降が教会が携挙されたあとの七年間の大艱難時代であるというディスペンセーション的説明が崩れてしまいます。

となると、さらには赤い馬よりも先に登場してくる黙示録6:2の白い馬に乗る者も、大艱難時代の幕開けとなる反キリストではなくなってしまいます。

しかし、反キリストは既に多く現れています。

「今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。」(Ⅰヨハネ2:18)

 

私の目には黙示録6章以降は携挙後の七年間の大艱難時代の幕開けではなく終わりの時、つまりイエスの言われた『産みの苦しみの始め』のようです。

 

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始めなのです」(マタイ24:7,8)

 

なぜこんなにも人々が殺し合っているのに、黙示録の赤い馬が未来の出来事だと断言できるのでしょう。

黙示録は、本当にHTMが示しているような時系列と挿入句の構図であるという読み方で本当に正しいのかどうか、吟味してみる必要はないでしょうか?

 

黙示録の読み方についての過去記事はこちら↓

vitaminp81.hatenablog.com





聖書からの抜粋は『抜粋』でしかありません。それぞれの抜粋の御言葉を、直接的文脈からもう一度読まれることをお勧めいたします。聖書は、複雑な解釈なしに、日常語として素直に理解できるように書かれているはずです。副読本やブログはあくまで参考の一つで、導き手は神ご自身で十分です。

(※聖書個所の引用は、断りがない限り新改訳2017を用いています。)