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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

携挙の日=終わりの日?

もう一度、第Ⅰテサロニケ4:15-5:3を読んでみましょう。

「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。・・・人々が『平和だ。安全だ。』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。」

 

まず第一に、

Ⅰテサロニケ5:1「それらがいつなのか」のそれらは、直前の携挙のときですね。5:3「人々が『平和だ、安全だ…』とき、突如として滅びが彼らに襲いかかります。」

つまり、携挙はいつなのかわからないけれど、突如として滅びが襲いかかります。と言っています。携挙のときは、滅びの時だと、パウロは言っていないでしょうか?

 

第二に、

ヨハネ福音書6:40「父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠の命を持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」

第Ⅰテサロニケ4:16によると、キリストにあって死んだ人がまず始めによみがえるのは、私たちが携挙される直前です。その日を、イエスさまは「終わりの日の前に」ではなく、「終わりの日」と言っておられます。

 ※終わりの日(the days   the last day)艱難期

 (※訂正2021.7/4)