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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

旧約聖書における「主の日」とは(2-3)

※シリーズの第6回目にになります。この記事の主旨を簡単に再掲いたします。

 

軌跡と覚書というべいりあん (balien)のブログで、患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題 - 軌跡と覚書という興味深い記事がありました。その一つ一つの項目を個人的に検証してみたくなり、他者様のブログから勝手なことですが、お許しください。

争うためではなく、「果たしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」べレアのユダヤ人たちのように(使17:11)、建設的な意図で御言葉を調べたいと思っています。

決してこちらの結論を押し付けようとする攻撃的な態度からではなく、これからこれらの課題に取り組もうとなさっている方々と共に、御言葉を探求したいとの期待によって取り組んでいます。

 

 

 課題2患難期に関わる問題

 

2-3旧新約聖書において「主の日 yom Yahwe」とはどのような性質を持っているのか。(←サイトへリンク)

 

まずは前回引用した御言葉を一つ参照します。

「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの残酷な日が。…天の星、天のオリオン座はその光を放たず、太陽は日の出から暗く、月もその光を放たない。」(イザヤ13:9,10)

主の日を、神の怒りの日と言い換えています

前回の結論では、神の御怒りの日とは一日(時)であり、かつ患難期の最後に訪れる、と記しました。御怒りの日=主の日であるなら、同じ結論が主の日についても言えることになります。



次に、ヨエル書の「主の日」の説明を見てみます。

「主の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。」(ヨエル1:15)

主の日は神による破壊の日

 

「『シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。』地に住むすべての者は、恐れおののけ。主の日が来るからだ。その日は近い。それは闇と暗闇の日。雲と暗黒の日。」(ヨエル2:1,2)

→主の日は角笛と、ときの声の上がる日。暗闇で恐るべき日。

 

「主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるであろう。」(ヨエル2:11)

主の日はだれも耐え難い程恐ろしい日

 

「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。」(ヨエル2:31,32)

→太陽や月星が光を失ってから主の日は来る。

 

「見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。」(ヨエル3:1,2)

主の日は回復の日であり、さばきの日

 

「鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから。判決の谷には、群衆また群衆。主の日が判決の谷に近づくからだ。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。」(ヨエル3:13,14)

主の日は刈り入れの時。また、太陽や月星が暗くなると、主の日が近いことがわかる。

 

「その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉が主の宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。」(ヨエル3:18)

→主の日は回復の時。

 

次に、その他の書の「主の日」の説明を見てみます。

 

「見よ、主の日が来る。…主が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。…私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であり、その日は主に知られている。」(ゼカリヤ14:1〜7)

→主の日に、主が背きの国々と戦われる。主の日には、すべての聖なる者たちとともに主が来られる主の日はただ一つの日で、期間ではない。

 

「まことに、万軍の主の日は、…その日には、人間の高ぶりはかがめられ、人々の思い上がりは低くされ、主おひとりだけが高く上げられる。…主が立ち上がり、地を脅かすとき、人々は主の恐るべき御顔を、その威光の輝きを避けて、岩の洞穴や土の穴に入る。」(イザヤ2:12〜19)

→人々は低くされ、主だけが高く上げられる日。

また、黙示録6:16「(山々や岩に向かって)私たちの上に崩れ落ちて、御座についておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。」と、人々が御顔を避けていることが同じであることから、御怒りの日=主の日であることが分かる。さらに、イザヤ2章をさかのほると、「終わりの日に」(イザヤ2:1)とあり、それを「まことに万軍の主の日は」(イザヤ2:12)と言い換えているので、主の日=御怒りの日=終わりの日であることが分かる。

 

「ああ。主の日を切に望む者。主の日はあなた方にとって何になろう。それは闇であって光でない。」(アモス5:18,20)

→背きのイスラエルに対して語っているので、「あなた方」とは主に従わない民を指している。神に背くものにとって、主の日は闇。

 

「なぜなら、主の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。お前の報いは、お前の頭上に返る。」(オバテヤ15)

主の日は報いが与えられる日

 

「主の大いなる日は近い。それは近く、すぐにも来る。主の日に声がする。勇士の悲痛な叫び声が。その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日、角笛と、ときの声の日、…『…主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼしつくすからだ。』」(ゼパニア1:14〜18)

→…なんかもう、今まで書いてきた御言葉の要点を一気に要約してくれてますね。ゼパニア書恐るべし。主の日は怒りの日、苦難と苦痛の日、荒廃と滅亡の日、暗闇の日、角笛と時の声の日。

 

「御定めが行われて、その日が籾殻のように過ぎ去らないうちに。主の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。そうすれば、主の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。」(ゼパニア2:2~3)

→主の日は怒りの日であるけれど、主に立ち返る者は、怒りからかくまってもらえることを示唆している。

 

~感想〜

主の日への備えを警告する御言葉が、旧約聖書にこんなに満ち溢れていることに改めて驚きました。聖書全体が、「主の日」に備えさせるための、神の励ましと希望の書であることは否めないことです。

 

今の私の結論は、

旧約聖書における「主の日」の性質は

神の激しい御怒りの日

神による破壊の日

暗闇で恐るべき日

太陽や月星が光を失ってから来る

回復の日

さばきの日

刈り入れの日

すべての聖なる者たちとともに主が来られる日

ただ一つの日

主だけが高く上げられる日

終わりの日

報いが与えられる日

滅亡の日

角笛と、ときの声の日(戦いの意)

神に背く者に神の怒りが襲う日  として記されている。

となります。

 

聖書からの抜粋は『抜粋』でしかありません。それぞれの抜粋の御言葉を、直接的文脈からもう一度読まれることをお勧めいたします。聖書は、複雑な解釈なしに、日常語として素直に理解できるように書かれているはずです。副読本やブログはあくまで参考の一つで、導き手は神ご自身で十分です。

(※聖書個所の引用は、断りがない限り新改訳2017を用いています。)