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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

頑なな心(5)パリサイ人(6)真理という凶器 (7)最も大切なこと

(5)パリサイ人
「また、みこころのままに頑なにされるのです。」ローマ9:18

パリサイ人が見るからに悪者のように描かれることが多いですが、改めてどういう人なのかに気付きました。
ズバリ、私のような存在です。
傍目にはとても敬虔的で柔和で、熱心に見えた人々です。私の握っている神学は正しい!と頑なに握りしめている姿です。


(6)真理という凶器
自分の正義、自分が信じる真理を主張するあまり、相手を受け入れないという態度があるなら、真理とは時に凶器になると思います。勿論、ここは譲れないという福音理解は持っておくべきで、曲解や拡大解釈の考えを受け入れることはできません。しかし、自分が確信する真理を受け入れていない人々は、自分の敵であるかのようにすら思ったり、何とか伝えてあげたいと、優越感を持って接することは『こちらが正しい、あなたは間違っている』というメッセージそのものです。この凶器は益々相手の心を頑なにしていくでしょう。
「しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。」Ⅱテサロニケ3:15
自分が確信する真理にしがみつくあまり、いつの間にか聖書が教える「和合」とはかけ離れたところにいることにも気付きました。
「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合 して暮らしなさい。」マルコ9:50

(7)最も大切なこと
「なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。」ローマ14:17 
食べることは、対人関係において律法を守り行うべきかどうかの問題の文脈の中で語られているので、律法の解釈だと言えます。つまり『神の国は聖書の解釈によるのではなく、…』と言い換えることもできると思うのです。
私は小学生の時にキリストに出会って、幼子のようにただイエス様を信頼してきました。聖書のすべてが分からなくとも、ただイエスさまに頼る信仰でした。
なのに、『あなたが信じている神のご計画を知らなければ、信仰の成長もない』という声に耳を傾けたのです。聖書研究により神のご計画の全貌を解明し、神のものである事柄を手中におさめようとしていました。これは反逆行為であり、『あなたを大切に扱う』という神の約束を疑うことに等しいのです。

こう気付いた私に、ある牧師先生が仰ってくださいました。
『どうして命をもって買い戻したご自身のこどもたちが信頼してイエス様を待ち望んでいるのに、お前は十分に私の計画を把握していないのでダメだ。役に立たない。使えない。と仰るでしょうか。
エス様はご自身を信頼するものを最後まで責任を持って持ち運んでくださるお方です。』
最も大切なことは、イエスキリストをただ信頼すること。エスキリストで心が満ち足りること。そして聖書の中に神の慰めと希望を見出し、信仰生活を歩んでいくこと。
信仰の成長とは何かを今問われれば、聖書研究により、神の偉大さの知識が増し加わることだとは思いません。
信仰の成長とは『義認・聖化・栄化』の聖化のプロセスであり、それは全く神の恵みにより、キリストに似たものにならせていただくことだと思います。