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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

再臨は次に起こる差し迫った出来事か(1-2)

※前回の続きになります。この記事の主旨については毎回断っておく必要があると思うので、少しはしょって再掲の前書きになります。

 

軌跡と覚書というべいりあん (balien)のブログで、患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題 - 軌跡と覚書という興味深い記事がありました。その一つ一つの項目を個人的に検証してみたくなり、他者様のブログから勝手なことですが、お許しください。

争うためではなく、「果たしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」べレアのユダヤ人たちのように(使17:11)、建設的な意図で御言葉を調べたいと思っています。

決してこちらの結論を押し付けようとする攻撃的な態度からではなく、これからこれらの課題に取り組もうとなさっている方々と共に、理解を深めたいとの期待によって取り組んでいきたいと思っています。

 

課題1イエス・キリストの再臨に関わる問題

1-2聖書は再臨をimminent差し迫った、目前に迫った)な出来事として教えているのか。 (←サイトへリンク)

 

残念ながら私は学者ではないため、釈義がどうとか、そういった視点から述べることはできません。ただ単純に、この疑問に示唆を与えてくれそうな御言葉を探していきたいと思います。

 

「見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを守る者は幸いである。」黙示録22:7

 

「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。」黙示録22:12

 

「これらのことを証しする方が言われる。『しかり、わたしはすぐに来る。』」黙示録22:20

 

「わたしはすぐに来る。…自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい。」黙示録3:11

 

「だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。」黙示録2:16

 

以上のことばから、再臨は差し迫っている事であると、聖書は伝えています。しかも黙示録のことばとは、「イエスキリストのことば」(黙示録1:2)です。

また差し迫った再臨の時には、「わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために」(黙示録22:12)と、おっしゃられています。

 

報いが与えられる時とは、再臨の時です。

「人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ますそしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。」マタイ16:27

 

パウロも同じようにこのように言っています。

「苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが燃える炎の中に、力ある御使いあちとともに天から現れるときに起こります。」Ⅱテサロニケ1:7

 

その報いが、良い行いに対する報いも悪い行いに対する滅びという報いも、同時に起こることは以下の御言葉からわかります。

「あなたの御怒りが来ました。死者が裁かれる時、あなたのしもべである預言者たちと聖徒たち、御名を恐れる者たち、小さい者にも大きい者にも報いが与えられる時、地を滅ぼす者たちが滅ぼされる時です。」黙示録11:18

 

聖書からの抜粋は『抜粋』でしかありません。それぞれの抜粋の御言葉を、直接的文脈からもう一度読まれることをお勧めいたします。聖書は、複雑な解釈なしに、日常語として素直に理解できるように書かれているはずです。

副読本やブログはあくまで参考の一つで、導き手は神ご自身で十分と、今は心から思っています。

 

キリストが報いを携えて再臨されることに関する過去の記事はこちらです。↓

vitaminp81.hatenablog.com