page contents

Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

ヨハネの黙示録とイエスの終末論について(2-7)

※シリーズの第10回目になります。この記事の主旨を簡単に再掲いたします。

 

患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題 - 軌跡と覚書という興味深い記事がありました。その一つ一つの項目を個人的に検証してみたくなり、他者様のブログから勝手なことですが、お許しください。

争うためではなく、「果たしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」べレアのユダヤ人たちのように(使17:11)、建設的な意図で御言葉を調べたいと思っています。

決してこちらの結論を押し付けようとする攻撃的な態度からではなく、これからこれらの課題に取り組もうとなさっている方々と共に、御言葉を探求したいとの期待によって取り組んでいます。

 

課題2患難期に関わる問題 

2-7黙示録6〜19章について

【1】黙示録を未来主義的に解釈することは妥当なのか。

黙示録の構造について;封印の裁き、ラッパの裁き、鉢の裁きなど、黙示録における各出来事をchronologicalに整理することは可能なのか。

【2】封印の裁き以降の出来事とダニエルの第七十週の関係;どのようにして、封印の裁き以降の出来事が第七十週において発生すると説明するのか。また、各出来事を第七十週の前半と後半とに振り分けて説明することは可能なのか。

【3】封印の裁き以降の出来事はオリーブ山の説教の終末論とどのように調和しているのか。

封印の裁き以降の出来事と「主の日」の関係;封印の裁き以降の出来事を「主の日」に含めることはできるのか。可能だとすれば、それは全体的に「主の日」に含まれるのか、それとも部分的に含まれるのか。

 

質問を以上のように3つに分けて、順に取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

【1】黙示録を未来主義的に解釈することは妥当なのか。

黙示録の構造について;封印の裁き、ラッパの裁き、鉢の裁きなど、黙示録における各出来事をchronologicalに整理することは可能なのか。

 

ではさっそく…

 

ジャン!

f:id:vitaminp81:20210323162228j:plain

 

  あえて携挙は書いていませんが、聖書に従ってお調べになってくださると良いのではという願いを込めております。 (※各期間の幅の長さは、説明文の字数の関係であり、実際の長さに比例するものではありません。)

 

というわけで、

上の図のように時系列に並べて見てみると、黙示録6〜19章は過去のことにも言及しているため、すべてを未来主義的に解釈することは妥当ではありません。

黙示録における各出来事をchronological(時系列)に整理することは上図のように可能と思われます。

 

※現段階の黙示録の理解であり、自分の頭の整理のために作ったものです。

ですのでこれが正解とは言えませんが、ある程度の参考になれば幸いです。

ところどころ添えている他箇所の引用も、表作成の決め手となっています。

 

ご自由にプリントアウトなさってください。出所元を明記した引用もご自由にどうぞ♪

後々改定する可能性がありますが、その際は変更箇所を明記して行います。ご了承くださいませ。

(※早速訂正シマシタ。「底知れぬ所から獣が上がって来る」は第五の封印ではなく、第五のラッパのポイントでした。7:8~8のセクションの長さは第六のラッパの直前までに。11:1~14のセクションの長さは第五のラッパ直後からに変更。2021.1/30)

(※2021.3/23訂正→千年王国の時間軸を削除。黙示録20:1~3,4~10を主の日の後ではなく十字架の後からの枠に移動。)

 

 

【2】封印の裁き以降の出来事とダニエルの第七十週の関係;どのようにして、封印の裁き以降の出来事が第七十週において発生すると説明するのか。また、各出来事を第七十週の前半と後半とに振り分けて説明することは可能なのか。

以前の記事ダニエルの七十週の預言(2-5) - Misao’s bible diaryで、

ダニエルの七十週の最後の一週(第七十週)はエスが「多くの者と堅い契約を結ぶ」期間であるという見解を示しました。イエス・キリストによって七十週は成就したと言えますが、第七十週の期間はまだ進行中でもあると考えます。なぜなら、今現在もイエス様を信じ、主と新しい契約を結ぶ信者が地上に起こされているからです。

最後の一週とは文字通りの七年間を超えた完全数として、つまり異邦人の時が満ちるまでという預言的意味を表しているのではと思うようになりました。

つまり「多くの者と契約を結ぶ」期間とは、契約の証としての神の印が、救いに予定されている最後の一人に押し終わる時までではないかと思うのです。

(※定められた七十週の過去主義を否定するのではなく、それは第一義的に成就し、終末の預言としてもこのような見方をすることもできる、という意味です。2021.3/30追記)


神の印を押し終えるタイミングは、聖書から読み取る限り、第七の封印の中の、第六のラッパよりも前までではないかと考えられます。

「そして彼ら(煙の中から出てきた"いなご")は、地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならないが、額に神の印を持たない人たちには加えてよい、と言い渡された。」(黙示録9:4)

「その後、私は四人の御使いを見た。彼らは地の四隅に立ち、地の四方の風をしっかりと押さえて、地にも海にもどんな木にも吹きつけないようにしていた。

また私は、もう一人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上って来るのを見た。彼は、地にも海にも害を加えることを許された四人の御使いたちに、大声で叫んだ。

私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を加えてはいけない。』」(黙示録 7:1,2,3)

このように、第5のラッパは神の印を押し終えていないので地・海・木に害を加えず、神の印のない者だけに害があるからです。この後に続く第六のラッパの災害によっても死ななかった人間は、もう神の印を押される余地は無いことが、以下の箇所から分かります。(※追記2021.1/30)

「これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。

また彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。」(黙示録 9:20,21)

 

神の印を押し終えるまで、不法の者が現れないように引き止めている御使いの姿が、以下の箇所から立体的に浮かび上がってきます。

 

「不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。

不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。」(Ⅱテサロニケ2:6,7)

神の印を押されるのは、14万4千人のイスラエル12部族であると、黙示録に書かれていますが、文字通りのイスラエル民族ではなく、主が選び神の子とされた一人ひとり全てを覚えておられる、というメッセージと受け取ります。

 

不法の者が現れるとは、ダニエル預言で言うところの、

「次に来る君主」(ダニ9:26)「荒らす者」(ダニ9:27)が、

「思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高く上げて大いなるものとし」(ダニ11:36)「すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座る」(Ⅱテサロニケ2:4)ことです。

これは「この獣には、大言壮語して冒瀆のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。」(黙示録 13:5)にあたり、

彼はⅡテサロニケ2:8によると、「来臨の輝きをもって滅ぼされます」

 

以上はかなり個人的な憶測です💦(もし同じ見解の人がいらっしゃったら教えて下さると嬉しいです)。

 

よって、ダニエル預言の第七十週(最後の一週)は、キリストの公生涯開始から神の印を押し終えるまでの期間を指すと思われます。封印の裁きは第七十週のうちに起こると考えますが、各出来事を前半と後半に分けられるようなものではないと思います。

 

 

【3】封印の裁き以降の出来事はオリーブ山の説教の終末論とどのように調和しているのか。

封印の裁き以降の出来事と「主の日」の関係;封印の裁き以降の出来事を「主の日」に含めることはできるのか。可能だとすれば、それは全体的に「主の日」に含まれるのか、それとも部分的に含まれるのか。

 

オリーブ山の説教の終末論と封印のさばきの調和は、以下に見出されます。

第一の封印:白い馬

第二の封印:赤い馬(地から平和を奪い取り、互いに殺し合う)→「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」(マタイ24:7a、マルコ13:8a、ルカ21:10)

第三の封印:黒い馬(小麦、大麦、オリーブ油、ぶどう酒以外に害を加える)

第四の封印:青ざめた馬(死。地上の1/4を支配し、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す)→「あちこちで飢饉と地震が起こります。」(マタイ24:7b、マルコ13:8b、ルカ21:11)

第五の封印:殉教者のたましい→「また、兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。」(マルコ13:12)

「あなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにも裏切られます。中には殺される人もいます。」(ルカ21:16)

第六の封印:大きな地震。→「大きな地震があり、…恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。」(ルカ21:11、マタイ24:7、マルコ13:8)

第七の封印:七つのラッパ

①第一の御使いのラッパ:地と木々の1/3と、すべての青草が焼かれる。

②第二の御使いのラッパ:海の1/3が血になる。

③第三の御使いのラッパ:水の1/3が苦くなり、多くの人が死ぬ。

④第四の御使いのラッパ:太陽と月と星の1/3が光を失う。

⑤第五の御使いのラッパ:底知れぬ所に通じる穴から出てくるいなごが、神の印の無い者を5か月間苦しめる。

⑥第六の御使いのラッパ:人間の1/3が殺される。騎兵の数は2億。火と煙と硫黄の災害。→「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(マタイ24:21、マルコ13:19、ルカ21:23)「ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。」(マタイ24:29、マルコ13:24,25、ルカ21:25,26)

⑦第七の御使いのラッパ:「第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する」(黙示録10:7)→「人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」(マタイ24:31)

 

封印の裁き以降の出来事と「主の日」の関係については、図を参照していただくと一目瞭然なのですが、第七のラッパとともに主の日が訪れると考えます。よって封印の裁き以降の出来事で「主の日」に含めることはできるとすれば第七の封印のうちの第七のラッパでしょう。「世の終わりのラッパ鳴り渡る~♪」

 

 

というわけで、今回の結論をもう一度整理すると

【1】黙示録6〜19章は過去のことにも言及しているため、すべてを未来主義的に解釈することは妥当ではないと考えます。

黙示録の各出来事をchronological(時系列)に整理することは上図のように現在の見解では可能です(※今後訂正される可能性あり!)。

 

 【2】ダニエル預言の第七十週は、キリストの公生涯開始から神の印を押し終えるまでの期間を指し、封印の裁きは第七十週のうちに解かれると考えます

しかし、各出来事を前半と後半に分けられるようなものではないと思います。

 

【3】封印の裁き以降の出来事はオリーブ山の説教の終末論と時系列でほぼ一致・調和しています。

第七の封印の裁きの第七のラッパとともに主の日が訪れると考えます。

 

 

聖書からの抜粋は『抜粋』でしかありません。それぞれの抜粋の御言葉を、直接的文脈からもう一度読まれることをお勧めいたします。聖書は、複雑な解釈なしに、日常語として素直に理解できるように書かれているはずです。副読本やブログはあくまで参考の一つで、導き手は神ご自身で十分です。

(※聖書個所の引用は、断りがない限り新改訳2017を用いています。)