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Misao’s bible diary

教会の奥義・キリストにある一致

和解

初めてこの記事に訪れてくださった方は、まず過去のこちらの記事をご覧くだされば幸いです。 ↓

キリストの身体を引き裂くものとは - Misao’s bible diary

 

<和解>

 

私たちクリスチャンは、分裂ではなく和解を求めています。

 

キリストの身体が引き裂かれているという『実』から根を手繰り寄せ、問題を探ることを続けてきたのですが、私たちはいつまでもこの問題について訴え続けなければならないのでしょうか。

 

和解の道とは何でしょうか?

神は私たちを許してくださいますが、そのためには私たちが神の方向に向き直ること、つまり聖書でいうところの『悔い改め』が必要です。

同じ様に、私たちがキリストにあって許し合い愛し合うためには、共に同じ信仰告白の土台に立ち、神の方向を向く必要があります。

しかし、神の方向を向くはずの団体傾倒者によって、分裂、分派、既存教会の軽視、教会や家庭の崩壊が起こっているのは何故でしょうか。

 

共に同じ土台に立ち、同じ神を見上げているなら、解釈・神学の違いを乗り越え、互いに認め合い、キリストにおいて一致していけるはずです。そして今までもそうしてこられたのです。



お互いが支え合い立ち続けるためのルールやマナーというものがあるはずです。

しかしそれを無視し、既存教会に傷を残してでも革命を起こしたり、神学の異なる教会内において別の神学の伝道をすべきなのでしょうか?いえ、同じ神学の教会においてもさえも分派ができ、教会の秩序が乱されることが起こっています。

キリストの名において集まることや伝道自体が悪いことでなく、良い事だからとどんな道筋でも行うことを、神様は本当に喜ばれているでしょうか?

 

 

しかしもう一度言いますが、HTMに傾倒する教会所属者によってルール・マナー違反が起こっているのは、もはや個人の責任ではありません

公にではなく、個人的に『正しい解釈』を広めること、そしてやがて賛同者を増やし、教会ごと『正しい解釈』を採択するようにすること。これこそ自分に与えられた使命であると、HTMのメッセージを聞けば聞くほど感じてしまうのです

そして教会に所属しながらそうしない人は、自分だけが『正しい解釈』を知っていてもそれを誰にも伝えないのは『利己的な人間』であはないかと感じてしまいます

もしくは間違っている解釈を間違いと教えてあげないことの方が愛のない行為だと感じてしまうのです。それ自体は正しいですし、私もそうすべきだと思うのですが、その指摘によって神との関係に留まらず、人との関係においても『和解』に向かわなければ意味のない行為です



「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(IIコリント5:18-19 新改訳)

 

私たちは、分裂ではなく和解の務めを与えられています。

それゆえもはや、私たちの敵は神ではなく悪魔(サタン)です。互いに非を指摘し合い、キリストの身体を引き裂く行いは、敵が喜ぶことそのものです。

違反行為の責めは、全てイエス様が負ってくださいました

神との関係において和解した私たちは、人との関係においても和解が与えられているはずです。しかし人との和解をなおざりにするところには、神との和解の関係もないと思うのです。

 

 

ある方がSNSを通して素晴らしい言葉をシェアしてくださいました。

『自らの正義を貫こうとする姿勢ではなく、違いを認め、和解と赦しに生きようとする勇気である』

(ヴォルフハルト・パネンベルク「なぜ人間に倫理は必要か―倫理学の根拠をめぐる哲学的・神学的考察」の、訳者/佐々木克彦氏のあとがき文より)

 

注目され、影響力を持ち、用いられていくところに、サタンの力も強く働いていくと思います。その罠に注意しないでも例外的に守られる人間など存在しません。サタンの力は人間のあらゆる欲を満たすべく実に巧妙に働きます。

しかしどこから自分の純粋な思いがサタンに取られたかを探り、サタンの罠から離れ、神の方向を向く=悔い改めがあるなら、神は私たちに罪の責めを負わせられません。

神が赦してくださったように互いに許し合い、違いを認め、本当の意味での共生が可能となるのです。

 

 

福音宣教の使命と共に、和解の務めも委ねておられます。

それは神との関係のみならず、人との関係においても。

「神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。」(Ⅰヨハネ4:21)

「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)

 

(※聖書個所の引用は、断りがない限り新改訳2017を用いています。)